2009年08月28日

身も心も舌も満ち満ちて

 先週に続き、山形の旅・後編をお届けします。かなり長文になりましたが、最後までおつき合いください。

 酒田の朝の目覚めは、広がる青空のように爽やかだった。舌と脳裏に刻まれたル・ポットフーの余韻を楽しみながら、車を鶴岡市の羽黒山・出羽神社へと走らせた。郊外に出ると一面の田んぼである。異常気象ではっきりしない天気が続くなか、久々に降り注ぐ太陽を全身で浴びようとするかのように、穂先をのぞかせたばかりの稲は風に揺れるのであった。
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 古くから山岳修験の山として知られる出羽三山は、歴史に翻弄された山でもある。明治政府の出した廃仏毀釈令によって、寺院や仏像の徹底した破却が行われ、千年に及ぶ神仏習合の伝統を消し去った。杉並木のなかに簡素ながらも力強くそびえる国宝・五重塔は、悲しみの無言の証言者かもしれぬ。

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 五重塔から約50分で山頂につくが、2000数百段という途方もない石段の数を聞き、すごすごと引き返した。弁解するわけでないが、参拝客の多くは駐車場から有料道路を使って行く。
 山頂で東北随一のスケールを誇る社殿や鐘楼に目を丸くした後、湯殿山へ向かう。ナビで検索したらいくつかあったが、「どうせ近くだろう」とたかをくくり「湯殿山大日坊」と適当に設定する。が、これがとんだ間違いであった。
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 車は、湯の湧き出す巨大な岩がご神体の湯殿山神社から離れた、ガイドブックにも載っていない寺に着いた。山門は古寂びた風情だが、紫陽花の咲く小道に続く本堂は、寺とはちょっと形容しがたい建物。近づくと、中から巡礼とおぼしき白装束の一団が出てきた。
 偶然訪れた寺は、空海が唐から帰国して間もなく創建した真言宗・大日坊瀧水寺で、湯殿山の本寺という名刹なのであった。空海が持ち帰ったとされる金銅の釈迦如来立像をはじめ、運慶作の仁王像など多くの仏像が鎮座する。家光の将軍相続を祈祷するため、春日局がはるばる江戸から足を運んだという由緒も残る。
 さて、読経の後におはらいを受け、かしわ手を一回打って拝むという作法にも驚いた。やはり神仏習合の寺であり、それゆえ維新の文化弾圧でひどく荒れたそうだ。その狂気から、これらの仏さまを守り伝えてきた先人の辛苦はいかばかりであったか。

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 僧の丁寧な説明を聞き、帰ろうと思ったら、「こちらへぜひ」と案内された。別室にあったのは、江戸後期、生身のまま土中で入定し仏となった真如海上人だった。即身仏となるために、十穀を断ち、木の実と水、塩だけで徐々に体を枯らす木食の行をし、防腐剤となる漆の樹液を飲んで地中3メートルの石室に入る。亡くなってから3年3カ月の歳月も修行期間であり、掘り出され洗い清められてようやく即身仏となる。
 その凄まじいまでの荒行に言葉を失った。左目がくぼんでいた。目の病が流行し村人が苦しむのを見て、上人が平癒を祈り片目を抉り取ったためだという。日本の舵取りを担ういまの政治家に、これだけの覚悟と自己犠牲の肝力があるだろうか。気高い上人の姿にわが身はすくみ、やがてありがたい気持ちが体中に満ちていった。不思議な感覚だった。

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 こんなところへ来られたのは、なにかのお導きとしかいいようがない。心が満ち足り、後はなにも見なくてもよくなった。山形市郊外の上山温泉までノンストップで走り、「名月荘」へ入る。ここも異空間だった。ヴィラのように静かな客室、秋を先取りして虫籠などの飾り物が置かれた廊下、湯音が心地よく響く浴場など、どれもが洗練されている。

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 晩ご飯は、夏の恵みを心の底から味わった。刺身に出た石ガレイの縁側は驚くほど厚く、歯を押し返す身と甘みとのせめぎ合いを楽しんだ。野菜もふんだんに登場した。冬の野菜は土が育てるが、夏の野菜は太陽が育てる。調理は、その鮮やかな色とみずみずしさを殺さないことがポイントだが、凝りすぎて台無しにする店が多い。その点、名月荘は手のかけ方が絶妙だった。夏野菜のうま出汁ゼリーかけ、丸茄子の揚げ出し、トマトと太モズクのマリネ風酢の物などに舌鼓を打たせてもらった。

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 合わせる酒は、いまや吟醸王国の名に恥じない山形の銘酒から「出羽桜大吟醸本生」と「くどき上手純米吟醸」。するすると喉を流れ落ちていく美酒と美肴の競演に時のたつのも忘れた。夕方までヒグラシが鳴いていた庭の主役はいつしかアマガエルに替わり、窓の向こうはすっかり夜のとばりが降りていることに、言われて気づくのであった。

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 図書室に備え付けられた宿泊者の感想帳を見た。「修善寺・あさばと名月荘にしか泊まらないことにしました」「2回目の訪問です。今日から5連泊します」などなどの書き込みがあった。弾むように記された筆跡に、「ごもっとも」とうなずくほかなかった。
posted by ライターハウス at 10:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 専務日記

2009年08月18日

嗚呼! ル・ポットフー

 夏休みを利用して、はるばる山形県まで往復1100qを旅してきた杉村です。今回の目的は、信仰のふるさと出羽三山をめぐり美味を満喫するという趣向。その模様を上下2回でお届けします。

 北陸自動車道と国道7号をひたすら北上し、初日の目的地は金沢から約450q離れた庄内の港町酒田である。
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 なぜ、酒田か? 写真家土門拳の記念館も、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とまでうたわれた豪商本間家もそうだが、開高健、山口瞳、丸谷才一ら名だたる食通を虜にしてきたフランス料理店「ル・ポットフー」に行くためであった。
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 この店がなぜ酒田で生まれ、どうすごいかは、岡田芳郎著『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(講談社)という滅茶苦茶長いタイトルの本に詳しいが、佐藤久一という超ケタ外れの夢追い人が酒田にいたことに尽きる。
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 その名店でのディナーとあって、期待に胸と腹の虫が高鳴った。どん欲に食そうと、昼を蕎麦でセーブしたことも原因らしかった。店は駅前の東急イン3階、エレベータの扉が開くと、もう店内という変わったつくりである。

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 前菜は、天然岩ガキのレモン添え。貝殻と貝柱の間にナイフを入れ、身を切り離す。あやしく光り輝く身を口に入れた瞬間、新鮮さに舌が踊った。そして、かむほどに濃厚なエキスが口中に広がり、牡蠣が海のミルクと呼ばれる訳を存分に体感させられた。酒は、地元の「秘蔵初孫」をおいてほかない。凜とした気品とフレンチにもたじろがない芯の通った味は、日本酒の王様と言えよう。

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 次が、才巻えびのソテーから甘鯛のポワレ。「えびの殻は手でむしってどうぞ」とのアドバイスもあり、遠慮なく手を汚して食らいつく。お高くとまる雰囲気はまるでなく、「酒田から1時間圏内の旬のものを使い、食材の美味しさを引き出すことを心がけています」とソムリエの小松俊一さん。甘鯛は、香ばしく焼いた身とかけたソースの相性が絶妙で、たっぷり詰まった頬の身と骨のまわりのコラーゲンまでしゃぶり尽くした。

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 “口福”を表す言葉探しに苦労しているところへ、今度はローストした鮑。小ぶりだが、丸々1個を食べる贅沢さよ!鮑も貝柱をナイフではずし、分厚い身に刃を立てる。濃い目のクリームソースと絡まった鮑の滋味と、歯にしがみつくような食感。もはや旨さを表現することを放棄し、食べることに一心になった。

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 次に登場したのは、平爪ガニのクリームスープ。金沢のフレンチに慣れた舌には、少々、くどく感じたが、夏の磯の香が口から鼻へ一気に駆け抜けた。続く山形牛のフィレステーキはトリュフソースで。つけ合わせたかわいい玉ネギの甘いこと。パンでソースを何度も拭っては食べ、皿はほとんどピカピカの状態で下げられた。

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 お口直しのシャーベットの後、デザートには焼きプリンが出た。満腹のはずなのにちゃんと収まり、かくしてル・ポットフーの真夏の夜の夢は過ぎた。

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 旅の初日に、麻雀で言えば配牌即あがりの「天和」という役満気分だ。これで、翌日泊まる上山温泉「名月荘」の採点ラインが相当に厳しくなってしまった。
「どうか竜頭蛇尾に終わりませんように」。一抹の不安を抱え、眠りについた。

posted by ライターハウス at 18:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 専務日記

2009年08月12日

押尾学事件で亡くなった美人ホステス

 発売中の『週刊ポスト』によると、名古屋でネイル・アーティストとして働いたが、23歳で結婚して石川県に転居し、数年前まで金沢市内のキャバクラに勤めていたそうです。へぇー。
posted by ライターハウス at 19:10| Comment(2) | TrackBack(0) | 社長日記