
暖冬の天気予報が見事外れ、断続的に降る雪に久々にスコップが活躍した。テレビから流れる太平洋側の脳天気なほどの晴天に「ちくしょー」と舌打ちしつつも、寒いからこその美味に舌鼓が打てるのが北陸なのである。



ズワイガニを食べに加賀市橋立港そばの料理旅館『司』へ行った。さっきまで生け簀にいた加能ガニと雌の香箱ガニが1人に各1パイ出てくる。「どうだ!」と言わんばかりの量にまず圧倒される。刺身には、天然ブリなどの盛り合わせとは別にカニ刺しもつく。茹でたカニの身は繊維が長いのに対し、刺身は透明な突起状の固まりが連なる。甘さでいうなら、やはり刺身であろう。


この日のために、福井の「梵」特撰純米大吟醸を持参した。さすがに皇室ご用達である。絹のような気品。雑味は全くなく、それでいて酒精がしっかりと味蕾を開かせ、米の旨みを刻んでいく。最上の海の幸を寿ぐのに、まことにふさわしい酒といってよい。一緒に行った経済人たちからも歓声が上がった。


次は、焼きガニだった。火に炙られ、カニの旨みが凝縮していた。身はもちろんだが、ミソの香ばしさがたまらない。官能的で危険でさえある。甲羅に熱燗を注ぐ。とっさに口が迎えにいく。ミソが溶け出し、酒が別次元の飲み物に変わった。以前、金沢の名亭「銭屋」で驚嘆した、トラフグの分厚いひれを炙って入れた酒の記憶がよみがえってきた。まさに互角の勝負である。

この後も、天ぷら、雑炊とカニ尽くしが続き、馳走の責め苦に身をねじった。そして、その苦行からまだ日も浅いというのに、取材の神様は新たな試練を課すのであった。

今度は、能登町の『夢一輪館』で能登丼に挑戦である。主人の高市さんとは旧知の間柄。役場を辞め自力で町おこしをと、その夢を一輪、胸に挿して始めてから15年あまりがたつ。その彼が、自信を持って出したのが「まるごと能登和牛丼」で、黒毛和牛のロースを鍋で煮て、好みの牛丼にして食べるという趣向だ。


膳が運ばれてくる。先付には、豆腐を自家で燻製した「畑のチーズ」とキノコの煮物。鍋ができるまでのつなぎにと、手打ちの二八蕎麦が添えられる。「どこかの定食屋であるまいし」と、その取り合わせを疑問に感じた。肉の脂と淡泊な蕎麦。両雄並び立たずではないかと思ったわけだ。
しかし、それは杞憂だった。この時期、熟成して香りも味も増す蕎麦だけに、一度に食べるのがもったいなく、牛丼と交互に食べる変則技を使ったにもかからず、どちらも個性を打ち消し合わずに立っていた。「いける!」。思わず声を上げてしまった。


高市さんは、してやったりの顔をして種を明かしてくれた。同じ出汁を使うというのだ。彼の出汁への情熱は半端でない。能登で揚がったトビウオを天日で干し、自身が焼いて作るアゴダシからとるツユは、ことのほか繊細でやさしい。これが、蕎麦と和牛の仲人となっていたのであった。
牛丼も褒めなければいけない。肉はあくまで上質で柔らかく、その存在感を誇示しながら溶けていく。さらに、肉汁がなじむアゴダシのツユを吸い込んでも、もっちりした食感を失わないコシヒカリに、「俺も忘れるな!」という主張を聞くのである。

締めに、高市さんの原点であるブルーベリーで作った自家製アイスを注文した。本当に加賀も能登も、もちろん金沢も、味の道は奥深い。それに迷い込んだかのような道楽旅に、これからもしばし苦しめられるのだろうか。