2008年05月20日

角間隆氏の死を悼む

金沢市出身のジャーナリストでノンフィクション作家の角間隆氏が、5月14日に逝去されました。
私は北國新聞社を退社したあと、同郷の縁で、しばらく角間氏と一緒に活動していた時期があります。
最も鮮明に思い出すのは、1992年のアメリカ大統領選挙における民主党大会の取材です。ビル・クリントン氏とヒラリー夫人が会場に登場した時の異様な熱気を目の当たりにして、私はクリントン氏の勝利を確信しました。
角間氏は、海外取材では可能な限りレンタカーで走り回る主義でした。
いわく「飛行機で移動したら、点でしか見ることができないでしょ。その国を本当に知るためには、車で移動して線や面で見ないとダメなんだよ」。
片道5時間のニューヨーク〜ワシントンを日帰りで往復するのは日常茶飯事。アメリカ横断も当たり前。パリ→バルセロナ→マドリード→バスク地方→ボルドー地方→パリ→ロンドン→リバプール→ロンドン→パリを、交替で運転しながら5泊6日で駆け抜けたこともあります。
そうやって、絶えず世界中を自分の目と耳と足で取材し続けていた角間氏。
人を愛し、酒を愛し、猫を愛した天衣無縫な自由人でした。
享年71。早すぎる死ではありますが、ご本人は悔いのない人生だったと思います。
「憂きことの なおこのうえも積もれかし 限りある身の力ためさん」
戦国時代の名将・山中鹿介(幸盛)の辞世の句を、ご自身のそれとして遺されました。
ご冥福をお祈りします。

Kakuma.jpg
李登輝・元台湾総統と

■故・角間隆氏プロフィール
1936年9月27日大阪市に生まれ、石川県金沢市で育つ。1959年10月、東京大学在学中に国家公務員上級職試験に合格。1960年4月、東京大学を卒業してNHKに入局、プロデューサー・ディレクターとしてドキュメンタリー番組、海外取材番組などの企画、制作にあたる。1964年、コロンビア大学ジャーナリズム大学院に留学。1980年、NHKを退職し、ノンフィクション作家として精力的な著作・講演活動に入る。『燃えるアメリカ』『赤い雪−総括・連合赤軍事件』『ビンラディン対アメリカ 報復の連鎖』『李登輝−新台湾人の誕生』など著書多数。

posted by ライターハウス at 17:32| Comment(11) | TrackBack(0) | 社長日記
この記事へのコメント
惜しい方を、これほどにも「早く」失ったという思いなのでしょうね。

>「憂きことの なおこのうえも積もれかし 限りある身の力ためさん」

素晴らしい。まさに駆け抜けた氏の想いそのまま。我が道を行くその心意気”。見習いたいものです。
Posted by mit Sahne at 2008年06月06日 14:30
我が道を行くというか、傍若無人というか・・・
周りにいる人たちは、けっこう大変でした。
Posted by 中村 at 2008年06月12日 23:43
2006に角間先生とドイツのミュンヘンのホテルで偶然 お近づきになる機会があり、福祉理事に任命していただきました。中矢好美と申します。
その当時は駒沢大学病院で身の回りのお世話をさせていただく機会もございまして、地元 松山に帰ってからはご連絡もできず、久しぶりにネットで角間先生のご様子を拝見しようと検索したら、お亡くなりになっていたとわかりました。
私が当時の携帯も変更しておりまして、IJCのHPにも利用できない状態となっているので、失礼かとは思いましたが書き込みをさせていただきました。
角間先生とは数回しかお会いしたことはございませんが、圧倒的なパワーのすばらしい方でした。
いつか、お墓参りにお伺いしたいと思っております。
今現在、自宅にネット環境がないので 本日の書き込みはネットカフェからです。
携帯のメールアドレスはURL付は拒否とさせていただいております。
もし 先生の眠られている場所をご連絡いただければありがたいです。
大変 不躾な内容で申し訳ございません。
Posted by nakaya at 2009年06月18日 23:13
中矢好美様
角間氏の遺骨は、金沢の親族の方が持ち帰られました。
残念ながら、お墓の場所は知りません。
Posted by 中村 at 2009年06月19日 11:52
新潟の堤です。たったいま、知りました。心より、ご冥福をお祈り申し上げます。中村さま、その節は東京でありがとうございました。
Posted by 堤 at 2009年08月24日 19:27
お久しぶりです。
Posted by 中村 at 2009年08月25日 10:14
このホームページを通して角間先生が亡くなられた事を知り、こちらに書き込みをさせていただきました。
角間先生にはニューヨーク留学時代に大変お世話になりました。
1年半程前に知人を通してお体の調子が良くないと聞いておりましたが、お亡くなりになったのは本当に驚きました。
今年ニューヨークから帰国し、しばらくお会いしてなかったのでお会いしたいと思っていた矢先のことだったのでとても残念です。
とても個性的な方で、時には周りが大変なこともありましたが、一方、困っている人を放っておけない情の深い部分もある方でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。


Posted by Kawakita at 2009年09月06日 21:01
中村様


金沢なのですね。

地元、松山からご冥福をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
Posted by 中矢好美 at 2009年09月16日 23:51
こんにちは!
2006年秋に角間先生と知り合いました。
先生が世田谷区の病院で息を引き取るまで、
ずっと身の回りのお世話をさせて頂きました。

2007年以降は、先生とご一緒する機会が増え、
先生の主義でもあった「レンタカー」で、
仏→ベルギー→独→伊→旧ユーゴの各地を、
ひょんな経緯から旅をお供する事となり、
結果的に、先生の最期の欧州となりました。

そして、先生が本当に最期に渡航した先は
角間先生が愛して止まなかったNYでした・・・
1週間程の滞在で、成田を出国する前から体調が酷く、現地では殆ど自宅マンションに篭っていたそうです。
そして帰国する前日にチャイナタウンをブラりと車で周遊したのが、角間先生が最期に過ごした外国が、ジャーナリスト角間隆と「燃えるアメリカ(著書)」を生んだ、NYとなりました。

角間先生は、最期の帰国後スグ(1月初旬)に、ご自宅側の華屋与平であんみつ楽しみ、満足気に帰宅をされ、その数時間後(夕方)に、「助けてー」と私の携帯に電話があり、駆けつけると、先生が倒れていて、朦朧とした意識だったようですが「救急車を待たず、そのまま病院へ行ってくれーっ」と虫の息で訴え、そのまま車で数分の距離にある、角間先生の掛かりつけの病院へ乗用車で搬送し、そしてスグサマ脳の手術が行われ、オペ後は、5ヶ月以上意識不明の昏睡状態となり、それっきり、ベットから降りる事はなく、永眠につき、ようやくベットから降りる事となりました・・・。

ざっと私が知る2007年から、最期となった日までの、角間先生のエピを語らせて頂きました。

このHPを偶然に見かけ、とても嬉しく、そして懐かしく、いてもたっても居られぬ想いにかられ、つたない文章で恐縮ながら、書き込んでしまいました^^:

角間先生の談義が見れる、当HPを作成してくださった管理人様に、心から深謝を申し上げます。
Posted by 金真己 at 2012年02月09日 17:35
金真己様

角間氏を看取っていただき、ありがとうございました。
そしてお疲れさまでした。

『燃えるアメリカ』は、『赤い雪』『テレビは魔物か』などと一緒に、
今も私の本棚に並んでいます。
Posted by 中村 at 2012年02月09日 19:05
こんにちは。
いきなりですが、角間先生の台湾友人の郭です。
2000年に台湾の金門で先生と知り合って、
2002年に前総統李登輝しをインタビューに行った際、
私も同行しました。
今まで角間先生のことを常に思っています。
ともて懐かしかったです。
金真己様のお世話、ありがとうございました。
そして、このホームページもありがとうございました。
Posted by 郭 at 2014年12月01日 15:14
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