2010年12月13日

年末も大活躍です!

アプリ担当の森田です!
年末となり、今年の10大ニュースやら、ヒット商品番付やら
2010年を振り返る企画が次々と発表になっていますね。

アプリの業界にも、もちろんあります!
このほどApple社が発表しました2010年ベストアプリランキング
『iTunes Rewind2010 トップ有料App』の
ライフスタイル部門で、
弊社のパワースポット写真集が2位にランクインしました!

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これもひとえに、ダウンロードしてくださったお客様のおかげです。
予告していたスポット追加のアップデートも延び延びになっていましたが
なんとか年内には追加したいと思いますので
2011年も引き続き、よろしくお願い申し上げます!

あと、お知らせがもうひとつ、
現在発売中のanan(アンアン:マガジンハウス刊)1737号の
『女子的スマートフォン入門』という記事中で
パワースポット写真集をとりあげていただきました!
弊社の敏腕デザイナー坂下君がデザインしてくれた表紙画面などを
カラーで載せていただき、
アンアン読者の女子の皆さんをぐっと惹きつけちゃいそうな
素敵なページなっています!
ぜひ、書店でお求めください!



posted by ライターハウス at 10:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 専務日記

2010年09月17日

東京に息づく加賀百万石

旅行情報誌の制作で今年、兼六園、金沢城とその周辺を担当し、豪奢な加賀百万石にあらためて感じ入った杉村です。今回は、東京にある旧前田侯爵邸を訪ねてきました。

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京王井の頭線・駒場東大前駅から徒歩10分。高級住宅街を過ぎ、鬱蒼と茂る駒場公園の中にめざす旧邸はあった。洋館は鉄筋コンクリート3階、地下1階建て、延べ床面積約3,000u。雛祭りや茶会などに使われた和館は木造2階建て、延べ床面積約450u。敷地だった公園の面積は約40,000u。ケタ違いの広さに端から圧倒されるのである。

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が、驚くのはまだ早い。かつての敷地はさらに広い約150,000uで、東京ドームのほぼ3倍。その中に、芝生やテニスコートの洋式庭園、日本庭園、馬場、園芸場のほか、150人近くいた使用人(車のドアを開閉する仕事だけの人もいた)を住まわせる住宅があった。

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イギリスのチューダー様式を取り入れた洋館は瀟洒で、内部は王朝風の装飾を施し、昭和5年の完成当時、「東洋一」の邸宅とうたわれた。施主は陸軍大学長などを務めた16代利為。愛娘の酒井美意子が書いた『ある華族の昭和史』によると、利為は日本に海外の賓客を迎える洋館がないため、これを建てたのだという。百万石のお大尽ぶりは明治以降も変わらなかったのである。

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中に入る。現在は東京都が管理し、無料である。天井が高い。手の込んだ寄せ木張りの床に白い漆喰壁。ステンドグラスが夏の日差しを魔法のようにやわらかく変えていた。
1階はサロンや応接室、大食堂などのパブリックスペースで、2階が寝室や書斎、居室のプライベートスペースになっている。部屋ごとに色の違う大理石のマントルピースがあり、寝室と書斎には愛用の家具が置かれる。絵などの美術品がないのは寂しい限りだが、それでも戦後しばらくまでここにいた貴族たちの息づかいが確かに伝わってきた。

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贅を尽くした建物からは、祖先の財産にあぐらをかく散財家のイメージが浮かぶが、利為は子供によくこう諭したという。
「前田家の貴重な文化財を多くの人に知らせ、整理をして次の世代に伝えていく。それが貴族の義務というものだ」「使用人はわが家の宝だ。あの人達の先祖によって前田家は支えられ安泰だった。皆を大事にし、使われる人の身になっていたわりを忘れてはいけない」。

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この言葉からは、徳川家と肩を並べた名家の矜持と慈愛、自分たちが果たすべき責務への覚悟が凛乎として伝わってくる。
やむなく軍人の道を歩んだ利為だが、14年に及ぶ滞欧歴で英仏独語と優れた国際感覚を身につけ、書画・骨董をたしなむ第一級の教養人であった。それは、前田家が祖と仰ぐ菅原道真から代々受け継いできた知のDNAであり、旧邸内をしっとりと包む空気にも宿っている気がした。

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暑い夏もようやく過ぎ、秋が来た。三島由紀夫の文章を学び、大宅壮一や草柳大蔵に師事した才女・酒井の達者な筆が生きる『ある華族の昭和史』を、夜長の友の一冊としてお薦めしたい。
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2010年08月24日

日本一と世界一を堪能す!

わざわざ出雲まで足を伸ばした以上、近くの日本一と世界一も堪能しなければもったいない。今回はその二つを紹介します。

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日本一は数々あれども、アメリカの日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」が7年連続で「庭園日本一」に選ぶのが安来市にある足立美術館だ。フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』でも、同美術館の「日本庭園」が山陰エリアで唯一の三つ星になっている。
美術館は山あいの田園の中にあり、エントランスから続く回廊に沿ってさまざまな庭が目に飛び込んでくる。庭の面積は東京ドーム3.5個分に匹敵する約5万坪。背後の自然を巧みに借景していて、遠くの山まで続くかのような錯覚にとらわれる。
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創設者である故足立全康の「庭園もまた一幅の絵画だ」の言葉通り、館内の窓がそのまま額縁となって景色を切り取る演出も凝らされる。照明を落とした回廊から窓越しに眺める庭は、手前の大木の樹陰と敷き詰めた白砂、手入れの行き届いた植栽の緑が鮮やかなコントラストとなり、琳派の絵を見るかのようであった。
苔庭、枯山水庭、池庭、そして、横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた白砂青松庭には、毎日、専属の庭師が掃除や除草などを行うおかげで葉っぱ一枚落ちていない。途方もない手間と金がかけられていることを知るのである。
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美術品は近代日本画壇をリードした巨匠たちの秀作が揃う。安来から大阪へ出て、裸一貫から事業を起こした足立翁が、若いころ古美術店のショーウインドウで見た大観の絵に感動し、「いつか大観が買えるぐらいの商売人になろう」と粉骨砕身、働いたことが、質量とも日本一と言われる大観コクレションに結実している。
庭園の美も素晴らしいが、これだけの日本画の傑作を一度に堪能できる美術館は数少ない。まさに、ふたつの日本一に眼福は極まった。

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世界一はというと鳥取県の三朝温泉である。三朝温泉はラジウム泉を利用した温泉医療のメッカとして知られ、温泉街には温泉病院や大学病院もある。中でも旅館大橋の自家源泉のトリウム泉は世界一の濃度とされ、これを体感するために足立美術館から車を飛ばしたのだった。
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旅館大橋は昭和7年の創業で、建物は国の登録有形文化財にも指定され、銘木を使った贅沢な普請も見どころのひとつ。通された「梅の間」は床柱に梅が使われ、大きく取った窓から眺める三徳川の流れが目にやさしい。
早速、大浴場へ行く。名物の巌窟の湯は交代制になっていて、日中は女性の利用。男性はラジウム泉の内風呂と露天風呂、源泉をミスト状にした低温サウナのほうを使う。
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ラジウムが崩壊してできる放射性物質のラドンが皮膚や鼻から体内に入ると、人間の体はそれを排出しようとして細胞が活性化し、血行やリンパの流れが促進され新陳代謝が活発になる。これがラジウム泉ならではのホルミシス効果で、免疫力や自然治癒力がアップするというわけだ。がんにも効くと評判の秋田・玉川温泉の岩盤浴も、これと同じ理屈である。
夕食後、満を持して巌窟の湯へ。中は三徳川の河原をそのまま建屋で覆ったようなつくりで、天然の巌の割れ目から湯が湧き出し、それがそのまま湯船になっているのである。湯船は上之湯、中之湯、下之湯の3つあり、トリウム泉が湧くのは上之湯だけ。温泉の世界遺産とも言うべき湯であり、厳粛な気持ちでつかった。
中之湯、下之湯に比べてややぬるい。湯が体をすべるようであり、刺激は全くない。天然そのものの凸凹した湯船の中で座りやすい場所を探し、ラドンをどん欲に吸収しようと深呼吸を繰り返した。入浴後、汗の引く時間がいつもよりかなり長くかかった。
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大橋の魅力はまだある。食事がいいのだ。国から「現代の名工」に選ばれた知久馬惣一料理長が腕をふるうのだから、当然と言えば当然かもしれない。
イカ素麺はじめ13品が七夕飾りのように並ぶ先付けのセンスのよさ。近海で揚がったマグロ、カレイ、サザエの刺身の皿盛りを蝋燭の火で演出する遊び心。椀物は夏らしくさっぱりとしながらも、穴子の甘みと脂が舌先で踊る。栄養価抜群の山菜シオデを使った創作豆腐は、鮮やかな緑に香ばしさがはじけた。
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家族と美味いを連発し合っているところへ知久馬料理長が登場され、東伯牛のステーキを炭火で直々に炙っていただいた。「料理は歌と同じで強弱やリズムが大切」などの料理哲学を聞くこともでき、メインディッシュの味はさらに深くなった。
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普通なら後はご飯と汁、デザートを残すだけだが、馳走は延長戦さながらに続いた。大橋風鮑ステーキがあり、冷やし鉢は夏野菜と玉子〆、さらにミルクたっぷりの夏牡蠣と旬の地元食材のオールスターゲームであった。
これだけ食べればウエートオーバーは必定。しかし、不思議なことに翌朝から数日、お通じの回数が増えて現状を維持したのには驚いた。これもホルミシス効果のひとつかもしれない。三朝恐るべしである。
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2010年08月18日

いざ出雲の国へ

東京本部が送ってくれぬのなら、パワーを求めにいざ行かん。ということで、今回はオオクニヌシの古里・出雲を旅してきた杉村です。
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とにかく遠い。金沢から北陸自動車道、舞鶴若狭自動車道、中国自動車道、米子自動車道、山陰自動車道と駆け抜けること8時間。炎暑のせいもあるが、出雲大社に着くころには頭はすでに朦朧としていた。
縁結びの神様として広く知られる出雲大社。だが、梅原猛の『神々の流竄』や『葬られた王朝』を読むと、古代日本の血塗られた権力闘争の敗者を鎮魂するために建てられた歴史が浮かび上がってくる。
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大鳥居から全国的にもまれな下り参道、そして樹齢400年を超える松の参道を通ってやっと建物が見えてくる。500mはあろうか。社までも遠いのである。
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手水で手を洗って口をすすぎ、御仮殿に進む。現在、出雲大社は60年に一度の遷宮中で、本殿は修理の建屋に覆われて拝むことができない。たくさんの願い事を頼む大神に硬貨では申し訳ないと紙幣を賽銭箱に入れたその時、雷が鳴って雨が降り出した。歓喜の雨ではあるまい。積年の穢れのせいであろうか。「手水では足りぬ。雨に打たれて全身を清めよ」との声を聞く心地であった。
そう言えば一昨年、長野の諏訪大社へ詣でた時も突然雷鳴がとどろいた。偶然の一致かもしれないが、諏訪の祭神はオオクニヌシの長男だったはず。恐懼してお参りをさせていただいた。
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激しい雨に20分ほど御仮殿で雨宿りをした後、奥の八足門に上がる。門から振り返ると、御仮殿後ろの石畳に古代神殿の柱跡が小豆色で残してある。直径1mの巨木を3本束ねた柱の跡で、古代神殿はこの柱を9本使い48mの高さを誇ったという。まさに雲を突くような壮大な社であり、天孫族に国を譲って退いたオオクニヌシの無念を慰めるには、史上類を見ない建築物が必要だったわけだろう。
なーんて空想にふけっている間に空には青空が戻っていた。そして、水蒸気が今まさに雲となって背後の八雲山へと湧き上がっていく。感じない人には「ふーん」かもしれないが、何かが右の頬を微かに撫でていったようであった。
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清々しい気持ちとともに元気も出て、島根半島西端にある日御碕神社へと車を走らせた。ここは出雲大社の祖神として崇敬を集める神社で、オオクニヌシの祖先にあたるスサノオウなどが祀られる。大社造りの本殿が多い島根県唯一の権現造りで、朱色が鮮やかだ。
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訪れた日は奇しくも例祭の日で、神楽が上演されていた。能と違って動きがダイナミックで、鳴り物も入ってにぎやか。「国譲り」や「大蛇退治」など出雲ならではの演目があるようだ。
島根にはこの2社以外にも、出雲王朝の神々とゆかりの深い神社が多数ある。また、日本考古学史に残る大量の銅剣や銅鐸が出土した荒神谷遺跡、加茂岩倉遺跡も、オオクニヌシとの関連性が指摘されている。
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いわば出雲の国はパワースポットが目白押しというわけだが、かといってそのご利益で島根が宝くじの高額当選者随一の県だとか、離婚率が極端に低いということは寡聞にして知らない。こんなことを書くと、自社の商品にもケチをつけることになるので、これ以上のコメントは差し控えよう。
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おっと、それでもという人のために貴重な1枚を載せておく。重要文化財・松江城の天守閣の柱で見つかった「ハート」の形をした木目で、これに触ればもちろん待ち受け画面などの壁紙で身近に置いても、良縁が叶うといま大変な評判を呼んでいるそうだ。現地でガイドをお願いした観光ボランティアの方が太鼓判を押すのだから間違いない。どうぞご自由にダウンロードあれ。
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2010年07月15日

奥山田温泉と幻の大本営

 東京本部はパワースポットで怒濤の躍進。そのパワーを金沢にも送れと、他力本願な杉村です。大学時代の仲間とまた旅をしてきましたので、これから夏休みを迎える皆さんの参考になればと報告します。

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 日本の夏は蒸し暑い。梅雨時のじめじめ感を吹き飛ばすならここ!と今回選んだのが、長野県高山村の奥山田温泉である。小布施町から道を山手に取り、松川沿いに上がっていくと、標高1600mに広がる山田牧場に着く。お洒落なロッジが点在し、景色がチロル地方に似ていることから「日本のスイス」と呼ばれている。
 実は、松川の渓谷沿いには個性的な8つの温泉があり、秘湯ファンなら一度はという湯浴み天国だ。パワースポットの保証はしかねるが、あふれる源泉に免疫力アップのご利益は間違いなし。リッチ派には山田温泉『藤井荘』を勧める。古くから文人墨客が遊んだ佳宿で、期待を裏切られる心配はない。

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 もうひとつ、松川渓谷の名物が滝だ。そのハイライトは、流れる落ちる滝の裏側からも見ることのできる雷滝。落差30mの水が轟音をたてて落ちていく様は圧巻である。裏側を通って正面に回ればしぶきが降り注ぎ涼しいこと涼しいこと。よそでは体験できない「1粒で2度」の滝で、われら五十路の男衆は「水もしたたるいい男」になったのであった。

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 本題の奥山田温泉に戻ろう。ここの売りは、北アルプスと善光寺平を一望する絶景の中での風呂である。『セルバン白雲館』『満山荘』『レッドウッドイン』など隠れた人気宿があり、今回は6人の投票によって『セルバン白雲館』と決まった。
 浴場の扉を開けると硫黄泉特有のにおいが鼻をくすぐる。「いざ絶景を愛でん」との期待は、あいにくの梅雨空でかなわなかった。そのかわり雲海に浮かぶ露天風呂が体験でき、まさに天上の贅沢を味わえた。そして、風呂上がりに缶ビール。気圧が低いために泡が自動的にビアホール状態になって旨いんだな、これが。

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 料理がまた旨かった。トップバッターの馬刺しは舌の上で脂が溶け出し、食欲がそそられた。そこへ宿名物・オイルフォンデュの登場。信州牛、地野菜などを油であげ、胡麻ダレとリンゴをたっぷりとすり下ろした特製ダレを絡めていただく。初めて経験したが、全然脂っこくない。肉までがさっぱりとした味に変身するのには唸ってしまった。

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 焼き物は山里にありがちな川魚でなく、女将が朝採ってきたネマガリダケ。マヨネーズに味噌を混ぜたソースとの相性が抜群で、その後もオリジナリティーとセンスのある料理の数々に、6人とも完全に脱帽した。なにせ8室の小さな宿である。スキー好きが高じて奥山田温泉に宿を建てた主人と夫唱婦随の女将が、お酌しながら地元のことや料理への心遣いなどを話してくれた。これも心の温まるご馳走であった。

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 翌朝の奥山田温泉は小雨がぱらつき、半袖ではちょっと肌寒いぐらい。ここから一路、真田六文銭の里で知られる城下町・松代へ下った。1時間ほどの距離だが、そこはもう夏であった。松代は武家屋敷などがコンパクトに点在し、自転車で回るのが便利。顔にあたる風が涼しく、しかも3時間無料で借りられる。

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 空きっ腹対策に「六文銭食べ歩きチケット(600円)」を買えば、握り飯やおやき、お菓子など自分の好きなものをチョイスできるというのも楽しい。交番でどの店が評判か聞くと「オススメはこの店とこの店」と親切に教えてくれ、民事不介入を気取る無愛想なお巡りさんとは大違い。どこまでも観光客本位のホスピタリティーに富んだ町なのである。

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 松代の隠れた名所が象山地下壕である。太平洋戦争の末期、本土決戦の拠点として大本営や政府、皇室を移す計画のもと極秘裏に掘られた壕で、総延長は6km近くある。そのうち500mが公開されており、ヘルメットを着用してだれでも入ることができる。中は天然のクーラーのように涼しく、汗が一気に引く。
 地元ボランティアが団体客に、験を担いで掘削工事の開始日を「昭和19年11月(いい月)11日(いい日)午前11時(いい時間)」としたなど説明していた。佐藤優の本で読んだが、陸軍中野学校では日本がアメリカに占領された場合、天皇家断絶の危機に備えてスペアの宮様を全国のどこに隠すか、ゲリラ戦を効果的に展開するにはどうすればよいかまで練っていたという。
 「馬鹿げたことを」と一笑にふすのは簡単だが、敗戦の足音が迫る中で国の行く末に必死になった先人達を思うと、今の豊かさや幸せをどう受け止めなければならないのか、最後の最後に重い問いを投げかけられる旅となった。
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2010年05月10日

馳走を思い知る

マスターは含羞を浮かべ「ほんと書かんといて」と言ったが、「馳走」のなんたるかをこれほどかみしめたことはなかったので、心を鬼にして書く!
ということで、今回は金沢市にあるフレンチ『シャンタル』を紹介します。

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平和町住宅団地の外れ、犀川を見下ろす崖の上にシャンタルはある。看板はなく、ここがフレンチの名店と気づく人は少ない。玄関前に猟犬がはべる。マスターの相棒であり、われわれが馳走にありつけるのも、この犬のおかげなのである。

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店はこぢんまりとして、テーブル席が4つだけ。マスター夫婦とソムリエの3人で切り盛りして22年がたつ。いかに常連客の層が厚いかを思い知らされる。予約の時に、どんなものを食べたいか、前回どんなものを食べたかを聞かれ、迷うことなく「フォアグラ・フラン」をリクエストした。

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4年前の来店の時であった。裏ごししたフォアグラを混ぜ、プリンのように蒸した一品に舌が驚喜した。フォアグラの濃厚な香ばしさを軽快なピアノソナタのように仕立て、口の中で溶けながらも余韻はしっかりと残る味にたじろいだ。
30秒もあれば胃袋に消える料理のために、フォアグラと合わせるタマネギを4時間あまり蒸し焼きにしてエキスを取る。えも言われぬ甘みが滲み出す。この日は、爽やかに甘酸っぱいブルーベリーソースが初夏の風を思わせ、そこにソテーしたフォアグラと大粒のブルーベリー、アスパラが添えられた。

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前後したが、スタートのオードブルはニホンジカの干し肉だった。シカのモモ肉を秘伝のたれにひたし、真冬の屋外に1週間干してつくったという。ボーンチャイナの白に映える肉の深紅がなんとも美しい。そして、フォアグラ・フランの次が白インゲンのポタージュ。やさしい甘さとしつこくないコクが喉を滑り降りていく。これも熟成させて初めて出せる味である。

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魚料理は、グリルしたヒラメをショロンソースとゴボウの特製ソースでいただく。卵黄とバターの香るショロンソースに対し、ゴボウを炙って抽出したソースは少々酸味を帯び、その取り合わせは絶妙というほかない。さらに、ヒラメの下にしのばせたネギ、炙ってサクサクと香ばしいヒラメのウロコなどの小技が心憎く、もはや味の桃源郷に遊ぶ心地であった。
昨年夏に訪れた山形・酒田市の名店『ル・ポット・フー』も大満足だった。しかし、それは最高の食材の直球勝負であることが、『シャンタル』を知るとわかる。こちらは食材に加えて、変幻自在、ソースが七色の変化球となってゲストを翻弄する。

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肉料理は子羊の骨付き肉をローストし、切り分けてくれた。なんと柔らかく、なんと豊かな味であろう。やはり決め手はソースだった。マスターが冬場、山で仕留めた雌イノシシの骨から取ったフォン(出汁)がベースとなっていた。
「山へ上がるだけで1時間。かんじきを履いてイノシシを追いかけ、70キロの大物をやっとの思いで麓まで下ろしてきた」
そんな狩りの様子を聞くと、客においしいものをとの一心で、寒さに震えながら食材探しに走り回るマスターの気持ちが痛いほど伝わってくる。まさに、「馳走」の語源そのものなのである。

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ナッツやドライフルーツがたっぷり入ったアルザス地方名物のデザートを前に、「今日は特別ね」と小皿で出してくれたのが写真に写る直方体で、口に入れた瞬間、ゼラチン質が溶け出した。以前、ここで唸らされたイノシシのコンソメの味を遙かに凌駕していた。「熊の煮こごりです」とマスター。熊の脳みそから神経まで入れて長時間煮込んだもので、肉片は見えても舌先にその繊維質は感じず、深い旨みがただただ海のように広がるのである。

毎回、シャンタルには驚きと発見がある。そして、今回は完全にノックアウトされた。「食べるのが惜しい!」と何度思ったことだろう。だが、本能には勝てるはずもなかった。フレンチの隠れた名店が、和食の王道楽土・金沢にあることを誇りにしたい。
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2010年03月03日

加賀・能登で味道楽

ブログ更新もままならずお恥ずかしい限り。今回は、2月におじゃました加賀と能登の味覚です。
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暖冬の天気予報が見事外れ、断続的に降る雪に久々にスコップが活躍した。テレビから流れる太平洋側の脳天気なほどの晴天に「ちくしょー」と舌打ちしつつも、寒いからこその美味に舌鼓が打てるのが北陸なのである。

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ズワイガニを食べに加賀市橋立港そばの料理旅館『司』へ行った。さっきまで生け簀にいた加能ガニと雌の香箱ガニが1人に各1パイ出てくる。「どうだ!」と言わんばかりの量にまず圧倒される。刺身には、天然ブリなどの盛り合わせとは別にカニ刺しもつく。茹でたカニの身は繊維が長いのに対し、刺身は透明な突起状の固まりが連なる。甘さでいうなら、やはり刺身であろう。

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この日のために、福井の「梵」特撰純米大吟醸を持参した。さすがに皇室ご用達である。絹のような気品。雑味は全くなく、それでいて酒精がしっかりと味蕾を開かせ、米の旨みを刻んでいく。最上の海の幸を寿ぐのに、まことにふさわしい酒といってよい。一緒に行った経済人たちからも歓声が上がった。

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次は、焼きガニだった。火に炙られ、カニの旨みが凝縮していた。身はもちろんだが、ミソの香ばしさがたまらない。官能的で危険でさえある。甲羅に熱燗を注ぐ。とっさに口が迎えにいく。ミソが溶け出し、酒が別次元の飲み物に変わった。以前、金沢の名亭「銭屋」で驚嘆した、トラフグの分厚いひれを炙って入れた酒の記憶がよみがえってきた。まさに互角の勝負である。

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この後も、天ぷら、雑炊とカニ尽くしが続き、馳走の責め苦に身をねじった。そして、その苦行からまだ日も浅いというのに、取材の神様は新たな試練を課すのであった。

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今度は、能登町の『夢一輪館』で能登丼に挑戦である。主人の高市さんとは旧知の間柄。役場を辞め自力で町おこしをと、その夢を一輪、胸に挿して始めてから15年あまりがたつ。その彼が、自信を持って出したのが「まるごと能登和牛丼」で、黒毛和牛のロースを鍋で煮て、好みの牛丼にして食べるという趣向だ。

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膳が運ばれてくる。先付には、豆腐を自家で燻製した「畑のチーズ」とキノコの煮物。鍋ができるまでのつなぎにと、手打ちの二八蕎麦が添えられる。「どこかの定食屋であるまいし」と、その取り合わせを疑問に感じた。肉の脂と淡泊な蕎麦。両雄並び立たずではないかと思ったわけだ。
しかし、それは杞憂だった。この時期、熟成して香りも味も増す蕎麦だけに、一度に食べるのがもったいなく、牛丼と交互に食べる変則技を使ったにもかからず、どちらも個性を打ち消し合わずに立っていた。「いける!」。思わず声を上げてしまった。

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高市さんは、してやったりの顔をして種を明かしてくれた。同じ出汁を使うというのだ。彼の出汁への情熱は半端でない。能登で揚がったトビウオを天日で干し、自身が焼いて作るアゴダシからとるツユは、ことのほか繊細でやさしい。これが、蕎麦と和牛の仲人となっていたのであった。
牛丼も褒めなければいけない。肉はあくまで上質で柔らかく、その存在感を誇示しながら溶けていく。さらに、肉汁がなじむアゴダシのツユを吸い込んでも、もっちりした食感を失わないコシヒカリに、「俺も忘れるな!」という主張を聞くのである。

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締めに、高市さんの原点であるブルーベリーで作った自家製アイスを注文した。本当に加賀も能登も、もちろん金沢も、味の道は奥深い。それに迷い込んだかのような道楽旅に、これからもしばし苦しめられるのだろうか。
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2010年01月28日

初釜に行く

いよいよ50歳を迎えた杉村です。昨年、茶を習い始め、はや1年。若葉マークが絆創膏のように張りつき、まだまだ不作法を繰り返す日々です。今日は、「初釜」を報告します。

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結び柳のさがる床には正月飾り。凜とした中に漂う華やぎを感じながら、初めての初釜に臨んだ。米沢召しと仙台平の袴を新調し、妻には「要介護度5ね」とけなされながら、着付けをすべてしてもらった。せめて角帯の結び方ぐらいは覚えたいのだが、これは今年の宿題としておこう。

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新参にもかかわらず男性というだけで「正客」横の「次客」になり、これだけで心拍数は増す。まず先生による炭手前があり、香がたかれる。清浄な香が部屋に満ち、次に濃茶の前の懐石に移る。

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運ばれてきた松花堂弁当は、金沢の料亭「つる幸」謹製で、新年を寿ぐ盛りつけや彩りの妙に眼福を得るのである。もちろん、味は名料亭に恥じないもので、お昼にはまだ少し時間があったが完食したのは言うまでもない。

「今年も頑張りましょうね」と先生からお酒をついで頂く。盃には能楽をモチーフにした蒔絵がそれぞれ描かれ、座はその曲名がなにかで盛り上がる。藩政期以来、文化を愛でてきたいかにも金沢らしい、しっとりとした空気にも酔うのであった。
席を改めるため待合へ。濃茶の準備が整ったことを告げたのは銅鑼の音だった。港で喧しく鳴る「ジャーンジャーンジャーン」ではない。「ぼぅーーーーーーん」と長い余韻を伴って低く静かに鳴りわたった。

それを合図に席入りし濃茶が始まる。若先生が練った濃茶は、嶋台茶碗で出された。めでたい席に使われるもので、二碗の内側は金と銀、高台の形は五角(鶴)と六角(亀)という取り合わせ。道具の一つひとつに日本人の美意識や感性が息づくのである。

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世事の煩わしさを忘れ、ゆったりと時間を楽しむ贅沢の中で、新年初の濃茶を味わった。濃茶に続いて薄茶となり、席の雰囲気も濃茶の適度な緊張から会話の弾むにぎやかなものに変わった。

それにしても道具の素晴らしさはどうだ。利休らが生きた安土桃山時代につくられ、多くの数寄者たちの手を渡ってきた茶入れや釜、将来された井戸茶碗などが使われていた。古美術の世界は、「時間」という金では計れない尺度で値打ちがつくられ、伝来や次第の整った名品なら10億円を超えることも珍しくないという。驚くべきは金額ではなく、ただひとつの道具にも営々と大切に受け継がれてきた心が宿り、さまざまな物語があるということである。

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「そろそろ絆創膏をはがさねば」と、昨年自宅のメンテナンスをした際、大工さんに頼んで稽古用の置炉を埋めて切った炉の前に座り、買ったばかりの志野茶碗で自服した。果たしてどんな物語となるかはお楽しみだが、とりあえずは粗相をして割らないことを心がけ、2年目の精進に励みたい。
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2009年10月27日

よき仲間たちと

 大学の同期と1年ぶりの旅行を楽しんできた杉村です。今回は、信州紀行をお届けします。
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 春は里から駆け上がり、秋は山から降りてくる。信濃路の高原は紅葉が見ごろを迎え、街中でもケヤキが朽葉色に粧いを整えていた。
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 昨年、琵琶湖近くの余呉湖で天然ウナギと鮒鮓、猪などを食べ、今年は長野で山里料理に新蕎麦と決まった。善光寺と東山魁夷館・信濃美術館に立ち寄った後、車は一路、野沢温泉へ。道中の千曲川沿いの道は、河川敷に広がる畑と遠くで上がる野焼きの煙が旅情を誘う。車中は、缶ビールとつまみを手に四方山話に花が咲き、にぎやかなこと。

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 宿は、熊の手洗湯の前にある「中島屋旅館」。野沢に来たからには、13ある外湯を回らねば価値がないということで、着替えて早速出動した。1湯目の「真湯」は熱かった。湯船に足をつけると、みるみる間に赤くなる。体が冷えていたということもあろうが、熱いというより痛いのである。
 野沢菜を茹でる光景が風物詩となっている麻釜を見た後、2湯目は野沢のシンボル「大湯」へ。ここは、ぬる湯の湯船があり快適に入れた。3湯目は、「大湯」から徒歩1分の「河原湯」。体が慣れたのか、熱くてもすんなりと入浴できた。

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 湯上がりのほてった体に、秋冷の風が心地よい。部屋でこの日、何度目かの乾杯をし、飲み干すビールの旨いこと。胃袋も準備万端で、夕食の時間を心待ちにして鳴るのであった。夕餉の膳には、千切りにしたジャガイモを水にさらした後、酢と砂糖で味つけして油で炒めた「いもなます」をはじめ、蕗味噌、信州サーモンの刺身など、素朴な山の幸が並べられた。
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 酒は、いつものことながら持参した。お気に入りの山形「上喜元」から選んだのは、旨口タイプの美山錦を磨いた純米大吟醸だ。最初、発泡酒のような微炭酸を感じたが、飲むにつれて山里の濃い味に一歩もひかず、かつ邪魔をしない食中酒の優等生に見事に変身していくのである。

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 お楽しみは熊肉料理だった。5人中2人が味噌と生姜で味を付けた「信濃焼」、2人が醤油とクルミの「熊湯焼」、1人がシチューの「マタギぱい」で、熊肉は臭みもなく牛よりしっかりとした繊維質の食感であった。「俺のほうが旨い」などと座は盛り上がり、僕を除いてほぼ公務員という堅い職業柄には似つかないくだけた話がそれに輪をかけたが、ここに記すのはやめておこう。
 食後に、また外湯をはしごした。温泉街の一番北にある「滝の湯」から「麻釜の湯」、「上寺湯」と坂を下り、最後は旅館前の「熊の手洗湯」へ。熊の手洗湯が野沢では一番ぬるく、あまりの気持ちよさに洗い場に寝そべった。湯船から間断なくあふれ出す源泉が体を温め、流れていく。その湯音が快いリズムを奏で、ついうとうととしてしまった。

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 翌朝は秋晴れの空が広がり、戸隠へと向かった。ブナやカラ松、白樺などが色づき、その色の多さと織りなす色の美に見とれた。蕎麦は戸隠神社中社前の「戸隠そば苑」を早手回しで予約しておいた。この時期、戸隠や黒姫の新蕎麦を食べにくるファンで混むのは必定であり、空きっ腹で長時間待たされるほどイライラ感の募ることはない。
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 前菜と熱々の天ぷらを従えて登場した新蕎麦は、食べやすいよう竹のザルに一口分ずつに分けられていた。同店の徹底したこだわりに興味のある方はHPを見ていただくとして、山の伏流水で締めた蕎麦を見た瞬間に箸が動き、撮影をしばし忘れていた。
 つるっとした喉越し、噛むほどに広がる甘さ。淡泊だが味わいは深く余韻となって響く。わざわざ来た甲斐があったと満足しながら、はや来年の旅へと思いは駆けめぐるのであった。よき仲間たちの健康と家内安全を心から祈って筆をおく。
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2009年09月24日

13年前のソフトクリーム

 ついに政権交代が行われました。とにかく、このところ続いた政権を突然投げ出す無責任だけは絶対にやめてほしいと願う杉村です。

 「歴史が変わるワクワク感と、歴史を変える責任をかみしめている」。首班指名の朝、自宅を出る鳩山さんのコメントには思いがこもっていた。いまから13年前の初夏、政界再編の主人公に躍り出ていた、新党さきがけ代表幹事の鳩山さんにインタビューしたことがある。
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 持論の「友愛」をはじめ、最近の政治家には珍しくロマンを熱っぽく語る人だと感じた。なによりも、くりっと大きな瞳から発せられる強い目力が印象に残っている。「わたしは党の存在が否定されることを恐れない。政治家そのものが全否定されてしまう時代が来ることを、最も恐れる」と、自分の理想に向けて政界再々編をにらんでいた。それから3カ月後に民主党が結成された。
 当時、熱い夏を挟んで激動した永田町にあって、元首相の中曽根さんは「愛だとか友情だとかソフトクリームみたいで、お天道様が出たら消えてしまう。甘っちょろ過ぎる」とこき下ろした。鳩山さんも負けていなかった。「これからソフトクリームの季節になる。暑いほどソフトクリームはおいしくなる」。マスコミの間で、ソフトクリーム論争が格好の話題となったものだ。
 そして、天下分け目の関ヶ原となった今回の総選挙、軍配はソフトクリームに上がり、日射に輝く強固な岩塩にも見えた自民党はメルトダウンした。まさに歴史はドラマである。

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 政権交代に刺激され、首相像を描いたノンフィクションを2冊読んだ。1冊は沢木耕太郎の『危機の宰相』、もう1冊は堤堯の『昭和の三傑』。前者は、「所得倍増計画」を掲げ高度成長をテークオフさせた池田勇人と、彼を支えたエコノミストの下村治、宏池会事務局長の田村敏雄を描いたもので、緻密な取材によって戦後日本の「青春」時代を創り上げた舞台裏が浮き彫りになっていく。沢木作品は初めてだが、これが30歳の筆というから、その早熟さに驚く。

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 後者は、副題の「憲法9条は救国のトリックだった」にあるように、終戦前後の大混乱を収めた鈴木貫太郎、幣原喜重郎、吉田茂の3首相を描いている。新憲法はアメリカから押しつけられたとされているが、「文藝春秋」編集長も務めた堤さんは埋もれた資料を手繰り、「幣原が戦力放棄の条項をマッカーサーに説き、対外的にはGHQの外圧で無理にのまされたふりをして制定した」と推論する。3人の首相からは、焦土と化した日本の再建が最優先であり、同時に「もう軍の暴走や戦争に巻き込まれるのはご免」との強烈な意志がくみ取れる。

 占領を完遂して凱旋し、大統領の座をうかがおうかというマッカーサーの野心を、戦力放棄をうたう世界初の憲法でくすぐる幣原の老獪な外交力と、内閣の仲間をも欺く丁々発止の駆け引き。文章は下手だが、読んでいて興が尽きなかった。
 読書の秋、読んで損をしない本として推薦をさせていただく。
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2009年08月28日

身も心も舌も満ち満ちて

 先週に続き、山形の旅・後編をお届けします。かなり長文になりましたが、最後までおつき合いください。

 酒田の朝の目覚めは、広がる青空のように爽やかだった。舌と脳裏に刻まれたル・ポットフーの余韻を楽しみながら、車を鶴岡市の羽黒山・出羽神社へと走らせた。郊外に出ると一面の田んぼである。異常気象ではっきりしない天気が続くなか、久々に降り注ぐ太陽を全身で浴びようとするかのように、穂先をのぞかせたばかりの稲は風に揺れるのであった。
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 古くから山岳修験の山として知られる出羽三山は、歴史に翻弄された山でもある。明治政府の出した廃仏毀釈令によって、寺院や仏像の徹底した破却が行われ、千年に及ぶ神仏習合の伝統を消し去った。杉並木のなかに簡素ながらも力強くそびえる国宝・五重塔は、悲しみの無言の証言者かもしれぬ。

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 五重塔から約50分で山頂につくが、2000数百段という途方もない石段の数を聞き、すごすごと引き返した。弁解するわけでないが、参拝客の多くは駐車場から有料道路を使って行く。
 山頂で東北随一のスケールを誇る社殿や鐘楼に目を丸くした後、湯殿山へ向かう。ナビで検索したらいくつかあったが、「どうせ近くだろう」とたかをくくり「湯殿山大日坊」と適当に設定する。が、これがとんだ間違いであった。
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 車は、湯の湧き出す巨大な岩がご神体の湯殿山神社から離れた、ガイドブックにも載っていない寺に着いた。山門は古寂びた風情だが、紫陽花の咲く小道に続く本堂は、寺とはちょっと形容しがたい建物。近づくと、中から巡礼とおぼしき白装束の一団が出てきた。
 偶然訪れた寺は、空海が唐から帰国して間もなく創建した真言宗・大日坊瀧水寺で、湯殿山の本寺という名刹なのであった。空海が持ち帰ったとされる金銅の釈迦如来立像をはじめ、運慶作の仁王像など多くの仏像が鎮座する。家光の将軍相続を祈祷するため、春日局がはるばる江戸から足を運んだという由緒も残る。
 さて、読経の後におはらいを受け、かしわ手を一回打って拝むという作法にも驚いた。やはり神仏習合の寺であり、それゆえ維新の文化弾圧でひどく荒れたそうだ。その狂気から、これらの仏さまを守り伝えてきた先人の辛苦はいかばかりであったか。

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 僧の丁寧な説明を聞き、帰ろうと思ったら、「こちらへぜひ」と案内された。別室にあったのは、江戸後期、生身のまま土中で入定し仏となった真如海上人だった。即身仏となるために、十穀を断ち、木の実と水、塩だけで徐々に体を枯らす木食の行をし、防腐剤となる漆の樹液を飲んで地中3メートルの石室に入る。亡くなってから3年3カ月の歳月も修行期間であり、掘り出され洗い清められてようやく即身仏となる。
 その凄まじいまでの荒行に言葉を失った。左目がくぼんでいた。目の病が流行し村人が苦しむのを見て、上人が平癒を祈り片目を抉り取ったためだという。日本の舵取りを担ういまの政治家に、これだけの覚悟と自己犠牲の肝力があるだろうか。気高い上人の姿にわが身はすくみ、やがてありがたい気持ちが体中に満ちていった。不思議な感覚だった。

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 こんなところへ来られたのは、なにかのお導きとしかいいようがない。心が満ち足り、後はなにも見なくてもよくなった。山形市郊外の上山温泉までノンストップで走り、「名月荘」へ入る。ここも異空間だった。ヴィラのように静かな客室、秋を先取りして虫籠などの飾り物が置かれた廊下、湯音が心地よく響く浴場など、どれもが洗練されている。

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 晩ご飯は、夏の恵みを心の底から味わった。刺身に出た石ガレイの縁側は驚くほど厚く、歯を押し返す身と甘みとのせめぎ合いを楽しんだ。野菜もふんだんに登場した。冬の野菜は土が育てるが、夏の野菜は太陽が育てる。調理は、その鮮やかな色とみずみずしさを殺さないことがポイントだが、凝りすぎて台無しにする店が多い。その点、名月荘は手のかけ方が絶妙だった。夏野菜のうま出汁ゼリーかけ、丸茄子の揚げ出し、トマトと太モズクのマリネ風酢の物などに舌鼓を打たせてもらった。

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 合わせる酒は、いまや吟醸王国の名に恥じない山形の銘酒から「出羽桜大吟醸本生」と「くどき上手純米吟醸」。するすると喉を流れ落ちていく美酒と美肴の競演に時のたつのも忘れた。夕方までヒグラシが鳴いていた庭の主役はいつしかアマガエルに替わり、窓の向こうはすっかり夜のとばりが降りていることに、言われて気づくのであった。

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 図書室に備え付けられた宿泊者の感想帳を見た。「修善寺・あさばと名月荘にしか泊まらないことにしました」「2回目の訪問です。今日から5連泊します」などなどの書き込みがあった。弾むように記された筆跡に、「ごもっとも」とうなずくほかなかった。
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2009年08月18日

嗚呼! ル・ポットフー

 夏休みを利用して、はるばる山形県まで往復1100qを旅してきた杉村です。今回の目的は、信仰のふるさと出羽三山をめぐり美味を満喫するという趣向。その模様を上下2回でお届けします。

 北陸自動車道と国道7号をひたすら北上し、初日の目的地は金沢から約450q離れた庄内の港町酒田である。
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 なぜ、酒田か? 写真家土門拳の記念館も、「本間様には及びもせぬが、せめてなりたや殿様に」とまでうたわれた豪商本間家もそうだが、開高健、山口瞳、丸谷才一ら名だたる食通を虜にしてきたフランス料理店「ル・ポットフー」に行くためであった。
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 この店がなぜ酒田で生まれ、どうすごいかは、岡田芳郎著『世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜ忘れ去られたのか』(講談社)という滅茶苦茶長いタイトルの本に詳しいが、佐藤久一という超ケタ外れの夢追い人が酒田にいたことに尽きる。
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 その名店でのディナーとあって、期待に胸と腹の虫が高鳴った。どん欲に食そうと、昼を蕎麦でセーブしたことも原因らしかった。店は駅前の東急イン3階、エレベータの扉が開くと、もう店内という変わったつくりである。

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 前菜は、天然岩ガキのレモン添え。貝殻と貝柱の間にナイフを入れ、身を切り離す。あやしく光り輝く身を口に入れた瞬間、新鮮さに舌が踊った。そして、かむほどに濃厚なエキスが口中に広がり、牡蠣が海のミルクと呼ばれる訳を存分に体感させられた。酒は、地元の「秘蔵初孫」をおいてほかない。凜とした気品とフレンチにもたじろがない芯の通った味は、日本酒の王様と言えよう。

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 次が、才巻えびのソテーから甘鯛のポワレ。「えびの殻は手でむしってどうぞ」とのアドバイスもあり、遠慮なく手を汚して食らいつく。お高くとまる雰囲気はまるでなく、「酒田から1時間圏内の旬のものを使い、食材の美味しさを引き出すことを心がけています」とソムリエの小松俊一さん。甘鯛は、香ばしく焼いた身とかけたソースの相性が絶妙で、たっぷり詰まった頬の身と骨のまわりのコラーゲンまでしゃぶり尽くした。

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 “口福”を表す言葉探しに苦労しているところへ、今度はローストした鮑。小ぶりだが、丸々1個を食べる贅沢さよ!鮑も貝柱をナイフではずし、分厚い身に刃を立てる。濃い目のクリームソースと絡まった鮑の滋味と、歯にしがみつくような食感。もはや旨さを表現することを放棄し、食べることに一心になった。

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 次に登場したのは、平爪ガニのクリームスープ。金沢のフレンチに慣れた舌には、少々、くどく感じたが、夏の磯の香が口から鼻へ一気に駆け抜けた。続く山形牛のフィレステーキはトリュフソースで。つけ合わせたかわいい玉ネギの甘いこと。パンでソースを何度も拭っては食べ、皿はほとんどピカピカの状態で下げられた。

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 お口直しのシャーベットの後、デザートには焼きプリンが出た。満腹のはずなのにちゃんと収まり、かくしてル・ポットフーの真夏の夜の夢は過ぎた。

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 旅の初日に、麻雀で言えば配牌即あがりの「天和」という役満気分だ。これで、翌日泊まる上山温泉「名月荘」の採点ラインが相当に厳しくなってしまった。
「どうか竜頭蛇尾に終わりませんように」。一抹の不安を抱え、眠りについた。

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2009年07月21日

茶の湯の愉しみ

 昨年、本の取材で大樋焼本家10代・大樋長左衛門さん(文化功労者)からじっくりとお話をうかがう機会を得、それをきっかけに茶道を始めた杉村です。今回は、超初心者がお届けする茶の湯の愉しみです。どうかおつき合いを。

 教養の乏しさを暴露するようで恥ずかしいが、習い事はこの齢にして初めてである。知人から紹介された裏千家の教室へ、この2月から月3回のペースで通っている。「出された茶をちゃんと頂ければ」という暢気な気持ちで出かけ、自分が点前をしなければならないことに後から気づくという愚かさであった。
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 稽古は、襖の開け閉て、お辞儀の仕方、畳の歩き方からである。右手のところが左手になったり、右足で踏み出すところが左足になったりと、頭の中は混乱の極みで散々の出来。そして、汗だくになって奮闘、初めて点てた盆略点前の一服を、先生は実においしそうに飲んでくださるのであった。味のほどは定かでなく、その心遣いに感謝するほかなかった。
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 あれからはや半年が過ぎた。毎回、自分の稽古と先輩の稽古を拝見して過ごす約2時間半は、あっという間にたつ。無心と言っていいかもしれない。床にかかる掛け物の禅語を味わい、花入れで命の輝きを放つ草花を慈しむ。季節で変わる釜や茶碗、棗などのお道具を眺めると、茶の湯が日本人の美意識の結晶であることを間違いなく実感できる。
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 覚えが悪いということもあり、家で謙虚に復習をする。そのための道具を買うのも愉しみのひとつだ。今は風炉の季節。電熱式の風炉に時代を帯びた釜を乗せ、湯を沸かす。沸き立つ湯音が耳に心地よく、「閑座聴松風」の境地には遠いが、どんどんと気が静まっていく。
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 夏らしい平茶碗は、水辺の芦と蛇篭の絵が涼味を誘う。蓮の葉をかたどった唐銅製の蓋置も夏にぴったりの風情。染付が涼しげな水指の肩にあしらわれた二閑人は、愛嬌があってお気に入りのデザインである。
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 金沢の梅雨明けはまだだが、外では木槿がにぎやかに咲き、本格的な夏の訪れを告げる。稽古はこのところ、茶筅かざり、葉蓋点前、貴人点と薄茶でも毎回変わり、困惑の度を増している。さらに、11月の炉開きから、「そろそろ濃茶を始めますよ」との予告を受けている。
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 なかなかに大変だが、それらも含めて愉しんでやろう。茶の湯の真髄は「和敬清寂」である。相手をうやまい、一碗のために心を尽くす。未熟者ながらも、この気持ちを忘れずに励みたいし、仕事に向き合う姿勢もかくありたいと思っている。

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2009年07月02日

大人の宿

 「お洒落で粋ないい宿を教えて」。最近、友人から聞かれました。「だれと?」なんて聞き返せません。きっと夏休みに家族と行くのでしょう。そこで、今回は杉村とっておきの大人の宿を紹介します。

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 5月半ば、久しぶりに京都へ行ってきた。行き先は、世界文化遺産の延暦寺と西本願寺、御所と桂離宮。齢を重ねるにつれ、日本人の精神性と美意識に触れたいという欲求が膨れあがっている。同時に、せっかくの旅を台無しにしないよう、宿選びには念を入れるようになった。
 旅行雑誌はあてにしない。美食家たちの書いた本を何冊か手元に置き、行き先に応じて選ぶようにしている。今回の京都は、柏井壽の「極みの日本旅館」にある要庵西富屋を予約した。

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 錦市場の近くにあり、町なかに溶け込むような格子戸の脇にかかった小さな看板を見て初めて「ここが要庵!」と気づく。まことに、つつましやかな外観なのである。そして、細い路地庭の石畳を踏んでいくと玄関があり、中に入ると立派なワインセラーが今日の飲み手たちを待っているのが見えた。
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 坪庭のついた部屋が洒落ていた。李朝風の飾り箪笥に文房四宝が調度として置かれ、備前の壺に緑が生けられている。踏み込みの6畳にはソファーと棚があり、クラシック、ジャズなどのCDと本がさりげなく飾られていた。
 人を圧する緊張感やこれ見よがしの華美さは毛ほどもない。京都へ来て心底くつろげる小粋な空間が用意され、そのセンスと心配りに感心するのであった。

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 西富家の懐石は「キ(季節)、キ(機会)、キ(器)の心」を大切にしている。椀物は、初夏の京らしく鱧のくずたたきが出た。フォアグラを練り込んだ胡麻豆腐、濃厚に香り立つヨモギ麩も入り、その味の絶妙なハーモニーにいきなり圧倒される。お造りのサイマキエビはこりこり感がたまらず、焼いた頭がまた香ばしい。アイナメは皮をさっと火で炙るなど、おいしくいただくための手間が惜しみなくかけられているのである。
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 絶品は鮎の塩焼きであった。「今頃の鮎など脂がなくて食べられるか!」という己の先入観を恥じるほかなかった。笹を生けた美濃(と思う)の緑の器に運ばれて若鮎が出てきた。ダイナミックに頭からいく。骨は柔らかく、難なくかみ切れる。そして、かむほどに脂の甘さがわき出してくる。
 火で焼き尽くして鮎の命は食に変わる。この甘さは、若鮎が楚々とした姿態の中にもしっかりと秘めた命そのものに思えた。大げさかもしれないが、生かされてあるこの命の重さをあらためてかみしめるのであった。

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 八寸は白釉の四角い器に盛りつけた9種の味覚と彩りの競演であり、焚合のヒロウズには細切りにした大原筍を忍ばせ、水菜、グリンピース、山椒と小鉢の中で緑がこぼれた。「完食されましたね」とうれしそうに接待の若い女性が器を下げていった。
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 妻と2人で白ワインも空き(通ではないので銘柄は失念)、ほろ酔い気分で風呂へ行った。ここにも演出があった。浴室内にも花が生けられ、ユーモアたっぷりの人形の焼き物が湯船のタイルを飾っていた。そして、部屋に戻ってソファーにだらしなく横になり音楽を聴いた。
 宿に着いてからというもの、時間が静かに優雅に流れていくのを五感で味わった。これこそが贅沢というものであろう。おかげで今回の旅はほぼ満点であった。旅立ちの朝、見送ってくれた主人に礼を言うと、「よく金沢におじゃましますが、旅館がシティホテルに押され駄目になっていくのを反面教師に工夫しています」とのこと。ほんと西富家みたいな宿が金沢にもあったらと、つくづく思った。
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2009年05月14日

筆に限りなし

 かくも長くブログを休筆するとは…。「怠慢ですな」。そんな叱咤や「おいしい店をもっと紹介してよ」などの声に押され、久々登板の杉村です。とはいえ、今回は本について少々、書きます。

 ノンフィクション作家・加藤仁が書いた『筆に限りなし−城山三郎伝−』を読んだ。城山本人が寄贈した段ボール箱300箱の本や資料、書簡、メモと格闘し、戦友や読書会のメンバー、編集者らにも綿密な取材をし、浮き彫りにした伝記だけに読み応えがあった。
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 一途な軍国少年が見た軍の堕落と非人間性、敗戦でそれまでの価値観が全否定され嘗めた辛酸と苦悩からスタートし、経済小説という新分野を切り開き、国民的な大作家になっていくまでの人生が緻密に描かれている。城山礼讃に終始せず、突き放して描く著者のバランス感覚も、同業者の端くれとしてとても参考になる。

 振り返れば、新聞社のサツ回り時代(今から約25年前)に外相・広田弘毅を描いた『落日燃ゆ』を読んだのが、城山作品に触れた初めてだったと思う。加藤をして「城山の代表作」であり、極東裁判での絞首刑にも泰然と臨み、家族には「一切口を開くな」と遺言した広田の無私の精神に涙した。
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 次に読んだのが、国鉄総裁・石田禮助『粗にして野だが卑ではない』だ。本当に凛々しい明治の快男児で、気骨と格好よさに惚れた。文章が躍動しており、石田が目の前にいるかのような筆力にはたじろぐ。加藤は、この作品も城山の第一級の名作と評する。
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 『鼠−鈴木商店焼打ち事件』は、城山が歴史に挑戦した記念碑的な労作だ。書き出しから圧倒される。「歴史は、裁断好き、そして、少々感情的な女性である。深情もたのしかろうが、斬捨御免も覚悟しなければならない。たとえば、『鈴木商店』という名について、彼女は何を残したか」。城山は、昭和恐慌の引き金を引いた悪徳商社というレッテルがいかに誤りであったかを丹念に取材し、書いている。「何事も自分の目で確かめる」ことの大切さをしみじみと教えられる。
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 このほかにも、城山作品からいろいろと学ばせてもらった。ただ仰ぎ見るばかりの巨人だが、大家然とした気取りや威張る風もなく、@取材や待ち合わせ時間の30分前に到着A締め切りの1カ月前に入稿−を守り続けた城山。せめても、この点だけでも巨匠に近づきたいと思ってはみるのだが・・・
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2009年02月04日

名人芸の宿

 暖冬とはいえ、やはり冬は寒い。「温泉でも」という欲望の従順な使徒となった杉村は、福井県は芦原温泉に向かうのであった。
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 泊まった「つるや」は、数寄屋建築で昭和の名棟梁と呼ばれ、映画「大工太平記」(森繁久弥主演)のモデルにもなった平田雅哉の手になる宿だ。

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 堂々たる風格だが華美ではない。棟梁が精魂こめた意匠が館内の隅々に息づき、凛とした気品を漂わせる。これ見よがしでなく、細部にさりげなく配された銘木が心憎い。さらに、清潔に磨き上げられた館内の心地よさである。

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 2年ぶりのおじゃまにもかかわらず、女将のご高配で特別室「大観」に案内された。15畳の本間と6畳の茶室に、内風呂と露天風呂までついている。
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 飾り障子窓から漏れる寂光は、谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」の世界だ。ほのかな光に浮かぶ建具の洒落ていること!
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 床には、正月を寿ぎ双鶴の掛け物と双魚を耳にあしらった花入れ、そして、宝船の置物。日本人が受け継いできた文化や美意識をしみじみと味わうのである。

 昨年泊まった山代温泉「あらや」もそうだったが、「つるや」も湯自慢の宿だ。豊富な自家源泉を使って全浴槽に掛け流している。聞けば80度の源泉を、熱交換機を使って冷暖房、給湯などに利用し、ちょうどの湯温にして湯船に注いでいるという。大浴場につかり、ザザーッとあふれ出す湯の贅沢さはこの上もない。口に含めばしょっぱく、ほのかな硫黄臭が鼻に抜ける。湯船の中で、身も心もじわり溶け出す。極楽気分だ。
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 サロンでは、自分でつくった温泉玉子が楽しめる。源泉を注ぐ筧の竹は湯の花が結晶して白く咲き、玉子には源泉の塩味がほんのりとしみる。この後に続く夕食への期待感がいやが応にも高まり、眠っていた胃袋がにわかに活動を始めるのであった。

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 食事も「これでどうだ」と言わんばかりに、全国から厳選した食材で飾ることをしないのが「つるや」の流儀だ。地元で取れた季節の旬のものを、越前焼などの地元の器に盛りつける。例えば、食前酒は三方青梅の梅酒、刺身のワサビは勝山産本ワサビをその場で客がすり下ろす。
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 鴨ロース、蕗と芹の白和えなど7品が彩りよく添えられた前菜、こりこりとした食感の縞鯵や鮃などの刺身、この時期ひときわ脂の乗るノドグロの塩焼き。醤油をベースにしたソースのヒレステーキには、湯葉と大和芋の取り合わせ。食材をむやみにいじらず、そのよさを引き出す腕の確かさを感じた。

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 同時に、調理長の磨かれた感性に思わず「いい仕事してますねー」とうなったのが椀物だった。新鮮な鮟鱇の濃厚な肝からつくった豆腐、甘鯛の酒蒸し、ウグイス菜、海老、炙り口子、小梅が入っていた。ナマコの卵巣を干した高級珍味の口子をかむと、磯のにおいが香ばしさとともに春風となって口中を駆け抜けた。甘鯛は淡白にしてジューシー、鮟肝豆腐は海のフォアグラといいたくなる旨さであった。
 ここまでなら驚かない。降参したのは小梅にである。鮟肝豆腐で少々こってりした味蕾を、小梅の酸味が見事に引き戻してくれた。これだけの食材を一つの椀に入れるのはやっかいなはず。それをあえてやり、味のバランスを取ってみせる職人魂は、妥協を許さず高みを目指した平田棟梁の精神に共通する気がした。

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 朝飯の旨さは言わずもがなであった。部屋の露天風呂にゆっくりと体をひたして深呼吸を数回。雷を伴って雪を降らせた前線も抜け、時折、雲間から青空がのぞいた。心から安らげるこんな宿がいつまでもありますように。そして、また来られるよう今年も頑張らねばと誓った。
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2009年01月13日

ささやかに、こだわる

 新年おめでとうございます。杉村です。昨年11月からブログを更新せず、誠に申し訳ありません。本年もおつきあいよろしくお願いします。

 さて、1週間にも及ぶ年末年始の休み、ささやかにこだわって過ごした。合唱サークルのコンサートを終えた息子もちょうど帰省し、一家で湯涌温泉の奥にある立ち寄り湯の銭がめ(金沢市板ケ谷町)へ車を走らせた。
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 なによりも湯質がいい。無色透明の湯を手に掬うと、ほんの微かな硫黄臭がする。湯口から落ちた湯の回りには、炭酸のような粒が弾ける。もちろん源泉掛け流しだ。ぬるいがすぐに額に汗がにじんできて、湯力を感じる。Q.jpg
 建物の外は谷が切れ込み、下は川が流れる。檜の湯船につかり思い切り手足を伸ばすと、せせらぎがガラス窓越しに聞こえてくる。身も心も洗われ、まさに至福のひと時である。

 一昨年から妻との2人暮らしになり、肉はあまり食べなくなった。が、たまにはステーキもいい。こういう時は、JR金沢駅近くにある北野精肉店(金沢市中橋町)に行く。店構えは小さく古い。ショーケースもなかなかの年代物で、夏などに行くと垂れる水滴を受ける皿が床に置いてある。
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 しかし、肉の旨さは三重丸である。牛は和牛、豚はハーブ豚しか置いてない。繊細に入った和牛のさしの見事さよ。それが驚くほど安い。値段までが店の雰囲気と同じく、昭和で時計の針が止まったままなのである。
 「それは牛を丸ごと一頭買いしてくるからできること」と親父は言う。北野精肉店には鍛え抜いたプロの目と矜持があり、「この一番高い肉は歯の弱いお年寄り向き。お客さんはこっちで十分」という親切があり、そして、「端数はおまけしとくね」という情がある。
 久々のステーキは息子が焼いた。仕上げにフライパンにブランデーを注ぎ、豪快に火を飛ばすひと手間を加えた肉は、口の中でとけた。ご飯の後には、この日、松風園茶舗(金沢市長土塀1丁目)で買ったほうじ棒茶を飲んだ。知る人ぞ知る店だが、親父が汗ずくになって焙煎した自慢のほうじ棒茶は、某大物歌手も愛用するほどだ。

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 正月に備え、玄関に飾る和雑貨も買った。ミニ熊手に古布で鯛や梅をあしらったもので、茶目があってかわいい。京都で作らせる一品物とのことで、店内にはちりめん細工の干支や鶴亀、親王雛などがにぎやかに並んでいる。こんな洒落た店(きものと和雑貨ふくしま)が、金沢でなく鶴来町(現白山市)にあるのも、石川の懐の深さというべきか。
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 そして、正月のお節は今年も和田倉(金沢市近岡町)だ。45品を超える料理を、親父と息子が1週間がかりでつくる。伊達巻には東京湾であがった芝エビをすって入れ、土佐煮の筍は早くも新物。福井の九頭竜川で親父が釣った天然鮎の子持ち煮びたしは、醤油が上品にしみて骨まで軟らかく頂けた。
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 雑煮にいつにない甘みを感じた。決して嫌らしい甘さではない。昆布と鰹節で出汁を取り、後は塩だけのはずなのだが。妻に聞いたら、昨年、僕が沖縄で土産に買った「ぬちマース」を初めて使ったという。塩分が低いかわりにミネラル成分がとても濃い塩だ。またひとつこだわりが増えてしまったかもしれぬ。
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2008年08月04日

天然鰻と日本一の鮒鮓

鰻の話題になった以上、杉村も語らねばなるまい! ということで、今回は滋賀県・余呉町の旅館「徳山鮓(ずし)」でおつき合いを願います。

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 徳山鮓は、豊臣秀吉と柴田勝家が覇権をかけて戦った賤ヶ岳のふもとの余呉湖に面して佇む。大手の旅行雑誌には登場せず、ここの鰻や鮎などの川魚、熟鮓(なれずし)、獣肉などを食べに食通たちがひそかに訪れるという宿なのである。
こんな情報を仕入れてくるのは、畏友の谷本亙さんをおいてほかにない。ちょうど、大学の同期の連中と旅行に行くことになっており、幹事である僕の専決で予約を入れた。宿は1日2組限定、訪れた日は幸運にも貸し切りであった。

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 天女の羽衣伝説が伝わる余呉湖は小雨でほのかに煙り、静かな景色を見せていた。辺りはのどかな農村のただ中で、車の通る音さえない。風呂あがりにビールを飲みながら日暮れの外を眺めていると、モノクロームの墨絵の世界が現れ、やがて縹色(はなだいろ)が鮮やかに濃さを増しながら闇へと変わっていった。こんなにゆっくりと空を眺めたのはいつ以来であったか。

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夕餉の支度ができたことを知らせる女将の声に、一同、ダイニングルームへ。先付けはサバの熟鮓で、〆サバを濃厚にした酸味が舌先に踊る。酒は、隣町の蔵元で買ってきた「七本鎗(やり)・純米吟醸無濾過生原酒中取り」。熟鮓や川魚独特の癖に負けない酸味があり、その土地の食に合わせて造られるべき地酒の王道をいく酒だった。
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続いて、天然鰻の湯引き。山葵醤油につけて口に放り込む。かむほどに上品な甘みに隠された鰻の脂がしみ出してくる。その脂を「七本鎗」が見事に洗い流していき、二口目の鰻もまた驚きの旨さであった。

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一同からどっと歓声が上がった。大皿に熱々で出されてきた鰻の蒲焼きと、黄檗色(きはだいろ)に輝く卵を抱えたニゴロ鮒の熟鮓にである。
蒲焼きは皮がパリッとし、湯引きにはないジュシーで濃厚な脂が弾けた。みんな話すのをやめて、食べる、食べる。花山椒と実山椒の刺激が絶妙だ。脂に慣れた舌をしばし麻痺させ、リセットしてくれる。もちろん、脂といってもスーパーの特売にある中国産鰻のようなものではない。

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そして、熟鮓を作らせたらここが日本一と言われるニゴロ鮒に箸を伸ばす。希少な余呉湖産のニゴロ鮒の、しかも一番旨い時期を見計らって、主人は熟鮓づくりに取りかかる。鮒の腹を割かずにエラから内臓を取り出し、塩漬けと干す作業の後、ご飯を詰めて漬ける。出来上がりまで約1年の間に、微生物の働きで飯粒はなめらかなチーズのように、硬い背骨でさえそのまま食べられるようになってしまう。なんという発酵の不思議だろう。
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怪しいばかりに輝く卵、ほどよい食感の身。「鮒鮓がくさかった」なんて言ってた奴は、まがい物を食べたに違いない。近江を訪ね、これほどの酒の肴はないということが確信できた。そして、この鮒鮓とぴったり寄り添い、かつ一歩も引かない「七本鎗」にもあっぱれだ。
宴はまだ序の口から中盤ながら、落頬舌躍の嵐に翻弄される心地であった。

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旨すぎる話をあまり長々書くと、行けない者の嫉みが倍加するので、ほどほどにしておこう。この後、地元で捕れた猪のヒレ肉のカツ、生姜と大根をすり下ろした醤油ベースの出汁に、たっぷりの鰻の肝とインゲン豆を入れた鍋、鰻茶漬け、デザートにはチマキが出された。朝食は、小鮎を柳川風に卵でとじた鍋がことのほかに美味で、お代わりの声が続出したとだけ記しておく。

おっと、結論を言わねばなるまい。国産では、高知・四万十川の天然鰻も食べたが、余呉湖産も決してひけをとらない。ただ、女将いわく「鰻も夏バテをするので、やはり旨いのは秋からです」とのことだった。
posted by ライターハウス at 20:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 専務日記

2008年06月24日

おおらかなり、北海道

 5月末、札幌へ出かけ、その魅力にふれてきた杉村です。

 もう6月というのに、北海道はまだ新緑の春であった。エゾマツやトドマツの若葉が陽光にまぶしく輝き、自宅で盛りのヤマボウシも、ようやく咲きそろったという風情である。

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 だが、金沢と明らかに違うと感じたのは、風に含まれる湿度だった。歩いていても「じとっ」としないのである。

 北海道大学の教授をしている小学校時代の友人から、「この季節、北大植物園を外すな」と激しく推薦されたので訪ねた。

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 ライラック、花ショウブ、カキツバタ、ツルニチニチソウなどの花々が美しく、ハルニレの大樹が都心とは思えぬ見事な森を作り出していた。

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 道端のフキひとつをとっても巨大である。これを、広大な北海道の大地に重ね合わせるのは乱暴というのを百も承知の上で、やはり金沢との違いを感じずにはいられなかった。

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 同じ雪国同士だが、冬の寒さも比較にならない。その証拠に、越冬できないためにゴキブリがいないそうだ。それに、水気を含んで重い北陸の雪と、さらさらと舞う北海道の雪。これも独断だが、北海道には湿潤という言葉がぴったりこない気がした。

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 それを違う意味で実感できたのは、道立近代美術館で開かれていた片岡球子の特別展だった。今年1月、103歳で亡くなった片岡は、札幌出身の日本画家で文化勲章も受章した画壇の大御所である。80歳を超えてなお数メートルもの巨大な絵を描いたエネルギーにも驚いたが、大胆な構図と豪快に青や赤を使った風景画は、水蒸気のフィルターが全くない原色の乱舞であった。

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 確かに、南国も原色に満ちあふれているが、365日、身の回りにあるから感覚が研ぎ澄まされない。厳冬から開放されて一斉に芽吹く生命の力強さと、色とりどりの花々への歓び。北海道に生まれ育ったからこそ、片岡のこの絵があるのだと思った。

 帰り際、千歳空港に向かう電車の時間調整にと、札幌駅のJRタワーに上がった。地上160m、38階の展望フロアにあるトイレがユニークだった。小便器が2面ガラス張りの大きな窓に面してあり、190万都市を見下ろしながら用が足せるのである。

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 これもまた、万事におおらかな北海道を象徴するもののひとつか。恥ずかしいという感覚は起きない。むしろ、開放感満点の爽快さを味わいながら、札幌の街に別れを告げたのであった。(場所が場所だけに、高所恐怖症の人は利用されないほうがよいかと。老婆心ながら)
posted by ライターハウス at 16:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 専務日記

2008年06月03日

街なかの虎

 快調に首位をひた走る阪神タイガースに、「鼓腹撃壌」の日々を送る杉村です。

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 ウオーキングもいよいよ半袖の季節となってきた。5年近く続けても飽きないのは、季節の移り変わりもそうだが、街なかに結構、面白いものが発見できるからだ。
例えば、タイガースである。応援旗が張ってあるのを見るのはしばしば。この程度なら、「おっ、ここにもファンがいる」ぐらい。

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筋金入りの虎キチとなると、家そのものがタイガースである。ホーム用ユニホームよろしく外壁を白と黒で塗りわけ、タイガースカラーの黄色をアクセントに使っている。もちろん、玄関先にはタイガースのロゴマークが誇らしげに下がる。

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石川県には、ジャイアンツやドラゴンズのファンも少なからずいるが、自宅を白とオレンジ、あるいは白とブルーに塗りわけ、熱烈なファンであることを主張する家は寡聞にして知らない。やはり、虎は熱いのである。

自宅車庫のシャッターに、人気マスコットのトラッキー&ラッキーを描いた家もある。験を担いでか、このところシャッターは上がり放しになっており、写真でお見せできないのは残念だが、いつもは登校の小学生が楽しそうに眺めていく。社会まで明るくしてくれる演出に、大沢親分ならずとも「あっぱれ!」を差し上げたい。

 そういえば、冬に毛皮のコートをはおっていたお地蔵さんの衣装も新調された。目にも鮮やかな黄色のマント風の服で、裾に黒の飾り糸が下がっている。

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拡大解釈すれば、これはもうタイガース地蔵である。いまや毎朝のウオーキングは、3年ぶりの優勝を祈るお遍路にもなっている。
posted by ライターハウス at 19:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 専務日記